住職法話 其の三

住職法話 其の三

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平等

 
2020年東京オリンピック・パラリンピックは新型コロナウイルスの拡大で、1年延長。この7月にどのような形の大会になるかいまだ定かではありませんが開催されようとしております。
国際オリンピック委員会(IOC)は、この大会において男女共同参画(ジェンダー・男女の性差別からの平等)を確実にするために、各国内オリンピック委員会(NOC)は、すべてのオリンピック競技大会に、女性および男性アスリートを最低1名含めなければならないことを決議しました。その中で先日「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」という女性蔑視発言は女性たちの「生きづらさ」が見えました。
「ジェンダー平等」の理念をあげているならば、現実との「ギャップ」を埋める必要があります。
浄土真宗本願寺派門主・大谷光淳様が会長を務める全日本仏教会は、「現代社会における仏教の平等性とは~LGBTQ~の視点から考える」をテーマにシンポジウムを企画いたしました。
仏教の教えに「一切の生きとし生けるものは、幸せであれ」すべてのひとが、自らの人生を自分らしくありのままに生き、幸せでありたいと願うことは仏教の教えの根幹にも相通じるところがあります。  
僧侶でメイクアップアーティストの西村宏堂さんは、LGBTQ(性的少数者)の当事者です。カミングアウトされ、ご自身の事を発信することで、性的少数者について正しく理解をしてもらうことで生きづらさを少しでもなくなればと活動されております。
お互いを認め合い多種多様なあり方を尊重することが、今求められております。
当宗派では他宗に先駆け法名は男性、女性の区別なく、すべて釋○○です。
宗祖親鸞聖人は肉食妻帯をされ一人の人間として生きることを決意されました。本願寺派では女性僧侶・住職も多く活躍されております。
今回ジェンダー平等をテーマに発信するにあたり「レインボーシール」をお寺の入り口、住職の車、カバンに貼らせていただきました。これはLGBTQの方を指示しておりますというシールです。性的マイノリティとされる当事者の方々がこれを見て安心できる環境づくりと寄り添うことが仏教の教えであり、社会の中で生きていく一人の人間として大切なことだと思います。
新しい時代の性のあり方に正光寺も積極的な取り組みをしていきたいと思います。

なぜ、お正月はおめでたい?

 
「あけましておめでとうございます」
正光寺では、元旦の朝、7時から元旦会のお勤めをいたします。
なぜ、お正月に「あけましておめでとうございます」というのでしょうか?  
その意味を分かって言う人は少ないようです。いろいろな説がありますが、昔はすべての人の誕生日が1月1日だったのです。
現在では、個人の誕生日をお祝いすることは一般的になっておりますが、もともと日本では誕生日をお祝いする習慣がありませんでした。
昔は「数え年」で年齢を数えることが普通で、お正月がくるとみんな一斉に年を取っていたためです。
「お正月が来ると又一つ年をとる」そんな言葉を聞いたことはありませんか? 
誕生日のお祝いは嬉しい行事であることは間違いありません。その嬉しい日を全員が迎えると考えると、確かにお正月は大変めでたい日だとわかります。
おせち料理は家族全員の誕生日を祝うためのものだったともいわれてます。年明けを盛大にお祝いするのはその名残りのようです。
日本で個人の誕生日が祝われるようになったのは、昭和24年に「年齢のとなえ方に関する法律」が制定され、それ以降満年齢での数え方が普及し始めてからだと言われています。
お正月ご門徒の皆さんとお勤めしながら、本堂の阿弥陀様を見上げると笑顔で「おめでとう」「生まれてきてよかったね」と呼び掛けてくださっているようです。その呼びかけはお正月の嬉しい時はもちろん、不安や悲しみで立ちすくんだ時でも、必ず私に届けられています。
「明けましておめでとう」それは「生まれてきてよかった」「あなたに出逢えてよかった」という阿弥陀様のおこころと重なります。そのおこころを感じると、今までの慣例的な言葉としてではなく、気持ちを込めて大きな声で言いたくなります。
「あけましておめでとうございます」

昔話 桃太郎から学ぶ

 
先日、新聞の広告にこのようなことが書かれておりました。
桃太郎はなぜ、犬、猿、キジ という一見バラバラの三者をなかまにしたのか。そこには、桃太郎の戦略がありそうです。
おそらく桃太郎は、チームに多様性を取り入れ、ある種のケミストリーを起こそうとしたのではないでしょうか? 
最初は合わないこともあったかもしれません。でも、心を開き、認め合うことができれば、個性の違いはお互いを高め合うきっかけになります。 
違うから、視野が広がる。発見がある。成長できる。強くなれる。
これからの多様性の時代に、私たちの学ぶべきことが、そこにはあるような気がします。
三部経の中の阿弥陀経に、「青色青光・黄色黄光・赤色赤光・白色白光」というお経の言葉が出てきます。異なる個性を持つ光が重なって輝いており、それが集まって虹色のようなすばらしい社会が出来上がります。
ところが、人はなかなかそうはいきません。自分を好む人には笑顔になれても、嫌な人にはそうはいきません。
誉められるとうれしくなり、けなされれば腹が立つ。社会生活の上では、世間の価値観や他人の評価に振り回されているのが実情です。
自分の色を出し輝かせる人生とは、どのような生き方であるか、それは一人一人が考えていくことであります。

餓鬼

 
餓鬼は手足が細く、お腹が膨らんだ姿をしておりますが、実はそれこそ、自己中心で欲望がつきない人間の心そのものなのです。
 
自己中な人チェックリスト作りました。
もちろん少ないことに越したことはないのですが、多くても落ち込まず、自分を知るいい機会だと捉え、思い当たる項目にチェックを入れてみましょう。
餓鬼は、人の心の奥深くに潜み、置かれた状況によって見え隠れするもののようです。
世界を震撼させたコロナ禍は、これでもかというほどに、人間の本質を露わにさらけ出しました。
目に見えない脅威によって、どんなことが起こったのでしょう。
コロナに覆われ、右往左往した日々を振り返り、仏様ならぬ、人間の弱さとか愚かさに気づく機会になればと思います。
 
□ 自分のことしか考えず、周りに人がいることが全く見えていない。
□ 自分のルールに合わないときは、子供のようにすぐに怒り出す。
□ 相手の事は批判するが、自分の事を指摘されることをとても嫌がる。
□ プライドが高いため、自分への指摘を悪口と捉える。
□ こんなことを言ったら相手が傷つくだろうという想像力に欠ける。
□ 自分の世界だけが大切だから視野が狭くなる。

三密

 
最近、コロナウィルス感染拡大予防で三密という言葉を耳にします。
これは仏教用語で密教の身口意を指します。 
浄土真宗では、身口意の三業(しんくいのさんごう)の意味を簡単に申し上げますと、身業=悪い行い 口業=悪い言葉 意業=悪い考えの事。物事は何でも「原因」「結果」があります。
その原因と結果の間にあります「影響力」みたいなものが「業」、原因に業(影響力)が及んで結果が生まれるわけです。
結局のところ、「行動」と「言葉」と「考え」に気を付けて善行を積み重ねていけば、必ずや他者にも良い影響力を与えて、すばらしい結果や評価をえることができるという意味です。