住職法話 其の一

住職法話 其の一

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神戸刑務所の巻頭言より(2015 4.20)

 
先日、行きつけの喫茶店でコーヒーを飲んでいた時のことである。
砂糖を何を思ってか横の灰皿に入れてしまったのである。おかしなことをするなあと自分で思いながらそのままコーヒーを飲んだ。
苦かった。苦い思いをしながら、砂糖は灰皿の中だなあとぼんやり見ていた。  
自宅に戻り、アレ(砂糖を灰皿に入れたこと)は、確かに呆けていたなあと思った。
店の人はどう思っていただろうかと思った。それでも料金はちゃんと払って帰ってきた。しかしその呆けた仕草をしっかり覚えていることも不思議だ。
「呆け」の始まりはこんなものだろうか。今に呆けの仕草を覚えていることもなく、思い出すこともできなくなるだろう。
そうなれば本格的な呆けだ。近頃おかしなことをすると呆けてきたかなと思う。それでもまだ気が付くだけましか。
平素から人様に迷惑をかけて、気が付かずにいることが多いと思う。   
インドの古い書物に「知って犯す罪より、知らずに犯す罪の方が重い」と説かれている。
それは、「やけ火箸をつかむようなもので、知ってつかめば傷は小さいが、知らずにつかめは傷は大きくなる」と説かれている。
普通に考えれば、知って犯す罪は重く、知らずに犯す罪は知らないのだから罪は軽いと思われるが、「知らずに犯す罪は知って犯す罪より重い」と説かれている。喫茶店で砂糖を灰皿に入れた。知らずに入れた。  
知らずなのでテーブルの上に撒いていたかもしれない。それでも自分のしていることがわからないから平然としていた。
焼けた火箸を知らずにつかんでいるようなものだ。だから傷は大きい。知って行えば悪いことをしているのだという罪の意識がある。
知らないものに罪の意識がなく、懺悔する心は全くない。だから店の人に一言の謝罪もなく帰ってきた。
それだけまた傷も大きくなっているのだ。罪は重くなってきているのだ。呆けてくれば、知らずにどれだけ罪を造る事だろう。そして、自分の犯した罪もわからずに生きているとすれば、悲しく、恐ろしく、恥ずかしいことだ。
仏法(仏の教え)に遇おう。
呆けても仏法の中に抱かれていれば、仏法の香りがする人間になれるのだ。
嶃…自ら恥じて罪をつくらないこと
愧…他に罪をつくらせないこと

故 高倉 健さんが生涯よりどころとした言葉(2015 1.1)

 
天台宗大阿闍梨・酒井雄哉師から、高倉健さんへのお言葉です。
 
行く道は     仮令身止(けりょうしんし)
精進にして    諸苦毒中(しょくどくちゅう)
忍びて終わり   我行精進(がぎょうしょうじん)
悔いなし     忍終不悔(にんじゅふけ)
 
右の言葉は、私たちが普段お勤めしております「讃仏偈」の最後の四句の言葉です。  
健さん座右の詞です。

浄土真宗における婦人僧侶の社会的役割(立場)と存在意義(2014 10.5)

 
お釈迦様の時代(2500年前)インド社会では女性の社会的立場はかなり低いものであった。
女性は男に隷属して、与えられた仕事は家事と子供を産むことだけだった。それは世界各地でも見られる現象でもある。
しかし、お釈迦様の教団だけは例外であった。当時のインド社会の規範を持ち込まなかったのである。  
教団の中は比丘(男性の修行者)比丘尼(女性の修行者)優婆塞(うばそく)(男性の在家信者)優婆夷(うばい)(女性の在家信者)で構成されていた。  
比丘は250の戒律、比丘尼には350の戒律を設けている。この差は当時の女性の社会的地位や背景を表している。 
お釈迦様のもとには、このような時代の制約を受けながら、女性であるが故の苦悩を持ち、救いを求めた人々が多数参集したのである。
親鸞様の時代(1173~1262年)平安末期(貴族)から鎌倉初期(武士武力)世の中の価値観が180度転換した時代である。
源氏と平家の戦い、天才、飢餓、疫病など、世の中が蒼然とした時代でもあった。 
その中で親鸞様は非僧非俗の立場から、肉食妻帯をして、煩悩具足の凡夫として生きられた。(肉食妻帯 、当時僧侶に課せられた戒律の否定 肉魚を食し、妻を持つこと)(煩悩具足 身を煩わせ心悩ます罪深い存在)
今、当寺は住職病気加療中の為、坊守(住職の妻、婦人僧侶)が法務(お参り)を執り行っている。   
住職が30年お参りしても打ち明けなかった趣旨の内容を、いとも簡単に坊守に相談していることもある。愕然とする。
しかしながら、坊守であるが故の苦労(子供の事、家庭の事、門信徒との付き合いなど)も多い。
その中で坊守が常に心がけていることは、他者の話を真剣にきくことだそうだ。
相手がどんな思いで、どんな状況で言っているのかを考えることだそうだ。そうすると相手の真意がみえてくるようだ。話すことによって、心の傷が癒え、聞くことによって相手との信頼関係が生まれる効果がある。  
近年、女性の社会参画が叫ばれて久しくありません。歴史的に見ても過去、女性が低位におかれたことは間違いない事実である。
これを踏まえて男女ともに等しく生きられる世界の構築が現代人に課せられた大きな責務と言わねばならないだろう。

お寺とのお付き合い(2014 7.7)

 
先日ホームページでお世話になっております営業の方と宗派の話になりました。
その方は最近、祖父を亡くされ葬儀式をされたようです。その方のご両親は普段お寺とのお付き合いもなく、家の宗派がはっきりとわからなかったようです。
それで、葬儀社さんのご紹介でお寺さんが来られ、お勤めが始まるとご親戚のかたから「どうも、いつものお経と違う」とご指摘をうけたそうです。あとはご想像にお任せいたします。
こういうことは、わたしどものお寺でも、たまにございます。
恥ずかしいことです。「あなたのお名前はなんですか?」と聞かれ「知りません」ということと同じです。
お寺の立場から申し上げますと、普段からお寺とお付き合いをしていただきたいものです。
月に1回、月命日の日に、お寺さんが檀家さんのお家にお伺いして、お勤めをする月忌法要、毎月が大変と思われる方は、春秋の彼岸、お盆、祥月命日の年4回。それも大変と思われる方は年に1度の祥月命日、とお盆にはお寺さんに来ていただいて、お勤めをしたいものです。
お寺から何か発信したいと思いましても、お会いする機会がないと段々疎遠になってしまいます。 
正光寺の住職は法事しかしないお家にも、年末にカレンダーをお配りしております。お寺とのご縁を持っていただきたいからです。
あるお寺の住職は、すべての檀家さんに命日が近づくとハガキを出して、命日ぐらいはお勤めをしてくださいとお寺から発信しているようです。   誰のためのお勤めかを考えます時、亡くなられた方をご縁として、ぜひ、お手次のお寺を訪ねていただき、法縁を結んでいただきたいものです。

墓じまいについて(2014 6.3)

 
先日、某テレビ番組で”墓じまい”を特集しておりました。興味がありつい聞き入ってしまいました。
内容は60代の奥さんがご主人を亡くし、娘さん二人は嫁がれ、主人が亡くなった今、先祖の墓守をするひとがいないということで、この先の事を不安に思われておりました。そこで、決断されたことは、お墓からお骨を取り出し墓標を撤去され、更地にしてお返しすることでした。それを ”墓じまい”というようです。
そのあと、お骨を納骨堂に収め墓苑並びに寺院等に永代供養をしていただくということでした。
私はこれをお聞きして、何かすっきりしないものを感じました。
この奥さんはまだ60代。生かされている間は、身内の墓守はできるかたがしていただきたいものです。嫁いだ娘に負担をかけたくないという思いからでしょうが、子供には変わりがないのですから。
ご相談されたのでしょうか?(実際、嫁がれてもご両親がしてこられたように、そのあとを引き継ぎ先祖の供養をされている方もおられます。)
納骨された後の事は詳しく放映されておりませんでしたが、永代供養をしていただけるから、安心するのではなく、誰のための永代供養なのかを、改めて考えたいものです。
最近このような話がございました。
ご主人さんを亡くし、御葬儀からのご縁で、息子さん夫婦とお孫さんをつれて、はじめてお寺にこられました。奥さんは住職にポツリポツリと「亡くなった主人は分家で、私たちは田舎からこちらに出てきました。その為、家にはお仏壇がなく、50年間手をあわすことがありませんでした。息子も、孫も手を合わすことを知りません。これからは、お仏壇をもとめ、手を合わす生活をしていきたいです、とわざわざそれを言うために、離れて暮らしている息子たち家族と一緒にお寺にこられました。
心温まるお話でした。皆様はどう思われますでしょうか。

季節の変わり目を人生の縁として(2014 1.17)

 
門信徒として日頃からお寺にご縁がある方と、そうでない方では、お寺に求めることが異なっていると言われます。
日頃ご縁のある方は、自信の人間としての成長や学びを願われ、そうでない方では、概して故人の鎮魂や供養、追憶を願うことが主であると言われます。
人間的な成長とか、学びといっても、一般的にその内容は多種多様ですが、一言で言えば、仏法による人間的深まりの学びということに尽きるのではないかと思います。
お墓参りも自分が今あるのは先祖のおかげという思いでされるのでしょう。それゆえ、そこには先祖への感謝の思いがあります。
今ここにいる自分は、先祖とのはかりしれない命のつながりのなかにあることは言うまでもないことですから、自分の先祖への感謝は、そのまま限りない先祖への感謝でなければなりません。
しかしながら、まったく面識のないはかりしれない先祖への感謝が、果たして自分には本当にできることなのでしょうか。
こう考えたとき、そのような先祖への感謝は、すべての命を救うという無限の命の象徴である阿弥陀仏の願いによって私たちが、真実の世界に向かって歩みをはじめなければ、真実の感謝にはならないのです。
感謝とは自分が行うものであることに間違いはないのですが、真実の感謝とは、大いなる阿弥陀さまに支えられた感謝であり、それゆえに、墓参りは自分が知っている限りある先祖への感謝を超えて、阿弥陀仏の大悲につつまれて限りなく連なる命への感謝へとつながるものです。
「歎異抄」第四条によると 「一切(いっさい)の有情(うじょう)はみなもって世世生生(せせしょうじょう)の父母(ぶも)・兄弟なり」と親鸞聖人は味わっておられます。